毘沙門天は、仏教の神様の中では有名ですよね。
でも、多聞天も毘沙門天と同じ神様を現しています。
なんで、同じ神様なのに違う名前なのかわかりませんよね?
また、12の干支がありますが、毘沙門天は寅年の守護者だと聞いたことがあるかもしれません。
でもなんでそうなのか知りませんよね?
だって多聞天は、四天王北の守護者です。
北だと子の守護者じゃないの?って思いませんか?
北方だから寅も含むと言われれば納得ですが、なんかしっくりきませんよね。
今回は、毘沙門天について詳しく解説していきます。
毘沙門天(びしゃもんてん)とは
毘沙門天は、天部に属する神様です。
天部の神様は、古代インド神話での神々が仏教の教えに説かれて従った姿です。
もともとは、「クベーラ(サンスクリット語: कुबेर, Kubēra)」という財宝の神様でした。
クーベラ様なのに毘沙門天?多聞天?名前が複数あるよどういうこと?
名前の由来
毘沙門天(びしゃもんてん)由来
「クベーラ(サンスクリット語: कुबेर, Kubēra)」という財宝の神様ですが、
『ヴァイシュラヴァナ(サンスクリット語: वैश्रवण, Vaiśravaṇa)』という別名があります。
これは、ヴィシュラヴァスの子の意味です。
この『ヴァイシュラヴァナ』の音に中国で当て字され『毘沙門』となりました。
そこに、天部を示す『天』を加えて『毘沙門天』と呼ばれるようになったのです。
多聞天(たもんてん)由来
『ヴァイシュラヴァナ』という名前はサンスクリット語で『よく聞く』という意味にも捉えられます。
そのため、中国語に訳された際にこの意味の『多聞』があてられたのです。
そのため、『多聞天』と呼ばれるのです。
お釈迦様の守護をし、話を教えを多く聞くから多聞天と言われたりもします。
特徴
特徴 | 説明 |
---|---|
武神 | 古代インド神話の中では、財宝を守るため優しい姿の神様でした。 しかし、仏教伝来の中で、戦い守る神の一面が大きくなり顔も忿怒の表情となっています。 七福神のときは、にこやかなのが古代インド神話の一面ですね。 |
宝塔を持つ | 宝塔とは、仏舎利(お釈迦様の遺骨)が納められた塔のことです。 仏教の教えそのものが納められた宝塔ですので、それを手に持つということは仏教を守護することを示しています。 |
宝棒を持つ | 宝棒とは、武器としての三叉槍、三叉戟、槍などを持つこともあり、この場合には外敵の侵入を防ぐ役割としての武器です。 また、宝を生み出す聖なる棒として扱うときもあります。 |
鬼を踏んでいる | 調伏した鬼の眷属を踏んでいます。二鬼の上に乗っている場合が多いです。 あたかも力でねじ伏せているように見えますが、鬼たちも毘沙門天を慕っているようです。 |
光背 | 火焔光と呼ばれる光背。 迦楼羅炎と言って、煩悩を焼き清める炎を背中に背負っています。 |
甲冑 | 宝冠:兜 頭を守るための防具 胸甲:胸を守るための防具 篭手:上腕部から手の甲までを守るための防具 袴:袴 下半身に着用する伝統的な衣類 腰甲:腰に付ける防具 脛当:すねを守る防具 |
獅子噛( 帯喰) | 腰のベルト。 獅子が、帯に嚙みついた姿をしており睨みを利かせている。 |
沓 | 中国、インドの文化的な靴。 布、皮などで作られたもの。 戦いの時には、底が厚いものが使用された。 |
天衣 | うすい衣を腰に巻いています。 天の羽衣のようなもの。 |
財宝の神
毘沙門天は、財宝の神様であると言われています。
毘沙門天は、天敬城というところに住んでいます。
この城では、財宝や福が湧き出しており、あまりの量に1日に3度も焼き捨てられるほど。
毘沙門天に帰依をすればこの福を授かることができると「仏説毘沙門天王功徳教」というお経に説かれています。
虎(とら)が使い
毘沙門天は、仏教として伝来した神様です。
北の守護者だから、東北東も守護しているので虎が使いかというとそうではないのです。
実は、聖徳太子が密接にかかわっているのです。
聖徳太子が生きた飛鳥時代(592-710年)、蘇我・物部の戦いが起きます。
これは、当時(用明天皇2年(587年))、天皇だった用明天皇は病にかかります。
死が近づけば神にすがる思いです。
用明天皇は、当時大陸から伝来した仏教の神に願ったのです。
これを支援したのが蘇我氏。
これに対して、日本古来より八百万の神に願ってきたのに罰が当たると物部氏が対抗します。
これが大事になり宗教戦争となるのです。
聖徳太子は、仏教側として戦に向かいます。
奈良県のある山にて、聖徳太子は神に祈りを捧げます。
そうすると、聖徳太子の目の前に毘沙門天が現れて必勝の秘法を授かり、そのご加護で勝利しました。
その現れた時間が、寅年寅の日寅の刻だったので虎が使いとされているのです。
その後、聖徳太子は、山に毘沙門天王を祀り『信ずべき、貴ぶべき山』ということで『信貴山』と名付けたんだって。
百足(むかで)が使い
どのような経緯で毘沙門天の使いが百足になったかは分かっていませんが、百足は毘沙門天の使いです。
とくに、毘沙門天は財力と戦いの神さまです。
百足は、足が多いことから『お足が多い』、お足とはお金のことを指しので財力を示します。
また、百足は『前にしか進まない』ことから戦いで、後退せず前へ進み勝利をつかむことを示します。
そのため、百足そのものが毘沙門天の使いとして信仰されてきたと考えられます。
百足特徴 | 信仰 |
---|---|
足が多い | お足が多いので、多くのお金が入る。 |
前へ進む | 後退せず前へ進み勝利をつかむ。 |
全ての足が連携して進む | 人物や物事が一糸乱れず連携して前へ進む。 |
ネズミがムカデを嫌う | ネズミ避け。 |
子が多い | 子孫繁栄する。 |
ちなみに、お金は、あたかも足が生えているかのようにいつの間にか出たり入ったりすることから、お金を「足」にたとえ、頭に「お」を付けて「お足」と言われます。
毘沙門天の所属
四天王
仏教では、世界の中心に大きな山があり、その山を『須弥山』と言います。
この須弥山に 天部 は住んでいます。
もともと、古代インド神話内でヒマラヤの奥にある都アラカーに住んで北方の守護神であったクーベラ(毘沙門天・多聞天).
そのまま、北の守護として須弥山(しゅみせん)を守っています。
同じく、東に持国天 西に広目天 南に増長天が守っています。
そのため、お寺では『須弥壇』といわれる 須弥山 に見立てた壇に御本尊(ごほんぞん)が祀られており、その周りに四天王が配置されます。
四天王として祀られているときは、『多聞天』という名で呼ばれます。
須弥山の北面中腹に、毘沙門天様は住んでるんだって。
なぜ四天王のリーダー?
北は、鬼門の方角。良くないものが来る方角とされています。
そのため、一番強い者が配置されていると考えられます。
また、多聞天は宝塔を持っています。
これは、仏舎利と呼ばれ、お釈迦様の遺骨の入った、言わば聖なる遺物です。
お釈迦様を直接守るということは、それだけで四天王を率いる者の証ですよね。
眷属
四天王には八部鬼衆という部下がいます。
四天王の像の足元を見てください、鬼が踏みつけられ従わされているのがわかります。
この鬼たちが部下なのです。
多聞天の部下は、2種類います。
●夜叉
⇒訳名は、勇健鬼。
地行夜叉・虚空夜叉・天夜叉の3種類。地夜叉以外は空を飛べます。
またその数は何千とも何万とも言われています。
その中で、特に優れた8体を八大夜叉大将と言います。
●羅刹
⇒訳名は、捷疾鬼。
足が速く、すばやい。
訳名 というのは、その者の意味が名前からわかるようにした言葉だよ。
勇健鬼(ゆうけんき)は勇ましく、勇敢。
捷疾鬼(しょうしつき)は疾風(はやて)のようにはやい。
みたいな感じかな?
あとは、混同しやすいんだけど
『八部鬼衆』は、釈迦如来に仕え仏法を守護する 『八部衆』 または 『天龍八部衆』 は違うから注意だよ。
十二天
毘沙門天は、十二天にも名を連ねています。
八方向の方位と上下を守る十神。日月の二神を加えて十二天になります。
- 東:帝釈天(たいしゃくてん)
- 東南:火天(かてん)
- 南:焔摩天(えんまてん)
- 西南:羅刹天(らせつてん)
- 西:水天 (すいてん)
- 西北:風天(ふうてん)
- 北:毘沙門天(びしゃもんてん)
- 東北:伊舎那天(いざなてん )
- 上:梵天(ぼんてん)
- 下:地天(じてん)
- 日:日天(にってん)
- 月:月天(がってん)
北の毘沙門天は同じだけど、東西南は四天王と違うの?
東西南が違う理由は?
これは、成立の仕方が違うからとされています。
四天王は、須弥山を守る役目をもっています。
十二天に関しては、密教の教えを守護する役目があります。
そのため、方位としては同じでも違う神様が祀られているんですね。
七福神
七福神は、日本で生まれ信仰されているものです。
もともとは、日本古来より恵比寿様を祭っていました。
それが、室町時代に大黒天、弁財天が加わり三神信仰となりました。
さらに、江戸時代、毘沙門天、布袋尊、福禄寿、寿老人が加わりいまの形となったと言われています。
また、七福神信仰は、上野の寛永寺を開いた天海大僧正が江戸時代にが徳川家康に説いて、広めたとされています。
七福神というのは比較的新しい信仰なんだね。
七福神 | 発祥 | 説明 |
---|---|---|
恵比寿(えびす) | 古来日本 | 漁労、労働、商売などの神 |
大黒天(だいこくてん) | インド | 五穀豊穣、飲食の神 |
弁財天(べんざいてん) | インド | 音楽、知恵、弁説、財福の神 |
毘沙門天(びしゃもんてn) | インド | 人倫の道、仏法の守り神 |
布袋尊(ほていそん) | 中国 | 吉凶の占い、家庭円満など福徳の神 |
福禄寿(ふくろくじゅ) | 中国 | 幸運、生活の安定、長寿の神 |
寿老人(じゅろうじん) | 中国 | 長寿延命の神 |
家族
仏教の神様では珍しく、妻子持ちです。しかも、子供は5人もいるのです。
- 妻:吉祥天(きっしょうてん)
- 子
⇒長男:最勝(さいしょう)
次男:独健(どっけん)
三男:那吒(なた)
四男:常見(じょうけん)
五男:善膩師(ぜんにし)
家族で祀られるときは、『毘沙門天』『吉祥天』『善膩師童子』の三尊形式になります。
長男でないのに何で三尊形式になると
必ず末っ子の善膩師童子(ぜんにしどうじ)なんだろう?
なぜ善膩師童子?
今の感覚だと、長男が家督を継ぐというのが一般的な感覚だと思います。
しかし、アジアの遊牧民の社会では末っ子が家督を継ぐのが一般的でした。
これは、長男から順に独り立ちをしていき最後に残った末っ子が残りの財産を継いだからです。
そうすると、末っ子が後継者として選ばれるのもおかしくないですよね。
まとめ
- 毘沙門天は、天部に属する仏教の神様。
- 古代インドの神で、毘沙門天は音として、多聞天は意味として中国経由で伝わった結果名前が違う。
- 財宝の神様
- 初めて日本で登場したのは、聖徳太子の目の前に寅年寅の日寅の刻に現れた。以後寅が使いとされている。
- 百足が使いで、お金と戦争の御利益。
- 四天王のリーダー、十二天、七福神に所属。
- 妻子持ち。
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