定額寺(じょうがくじ)とは

神社仏閣基礎
きつねくん
きつねくん

お寺の格式だよ。

なにが定額なのかわかってないけど、官大寺、国分寺・国分尼寺の次に位置づけられた寺院だよ。

定額寺(じょうがくじ)とは

定額寺じょうがくじとは、奈良〜平安期に官大寺かんだいじ、国分寺・国分尼寺こくぶんにじの次に位置づけられた寺院です。

定額寺の多くは元は皇族・貴族・豪族などが建立した私寺であったものがほとんどでした。

特に、延暦年間(782~806年)の間は、勝手にお寺を建ててはいけなかったため、建立したお寺をこの定額寺じょうがくじに申請することで、取壊しを免れたと考えられます。

平安後期以降はその名前は無くなってしまったようです。

支援・義務内容

定額寺に定められると、定額寺のある国の国司・講師(国分寺の僧侶の長)から、支援がありました。

  • 定額寺の修理費や運用費などの金銭的支援。
  • 定額僧と呼ばれる、国から僧侶を受け入れられる人材的支援。
  • 試験を行い、弟子を募集する人材的支援。
  • 資財帳(財産の目録)の作成の義務。

定額(じょうがく)とは

たぬきくん
たぬきくん

何が定額なのか、分かっていないんだよね。

大きく分けると次の5説があります。

1.一定の定数に限定されて指定を受けた寺院

一定の数の意味で使用された説です。古くから有力説となっていますが、これが正しければ、具体的な数字に関する書物があるはずが、発見されていません。

また、数が一定であれば、全体の総件数がある一定になるはずなのですが、時代によってその数は増えていきました。

2.一定の数量の物資の支給を受けた寺院

国家より保護を受け、経済的な基盤を一定の物資を受けることで成り立った寺院という説です。

寺院は、国家の機関とみなされていたため寺田じでんと呼ばれる仏教寺院が所有した田んぼがありました。

そこから奉納されるお米の数量を示しているのか、国から直接物資の形で支給されていたのか、根拠となる資料はありません。

3.一定の定員の官僧(「定額僧」)が派遣された寺院

国から、お坊さんが派遣されていた説です。

寺に僧侶がいなくて荒廃するという事態が防止でき、国家的な法会の実施指示も可能となるため、国家としてもメリットがあります。

実際、実施されていた寺もあるようですが、確認できない定額寺に定められた寺もあります。

4.国家が寺号を『定』め、その寺名が書かれた『額』が授与された寺院

額がある寺もあるようですが、確認できない定額寺に定められた寺もあります。

5.国家によって存立の承認を受けた寺院

官大寺や国分寺以外の寺が全て定額寺となってしまいますので、別の点で分けたのではないかと考えれます。

定額寺一覧

No.寺名現寺名史料登場年文献現状所在地備考
1国昌寺近江・国昌寺820年『日本紀略』廃絶滋賀県大津市光が丘町4-70近江国分寺
2高雄寺神護寺824年『類聚三代格』現存京都府京都市右京区高雄
3菩提寺美濃・菩提寺828年『類聚国史』現存岐阜県不破郡垂井町岩手
4弥勒寺伊予・弥勒寺828年『類聚国史』廃絶愛媛県松山市食場町弥勒寺山の名が残る。
天徳寺が後継寺院という伝承あり。
840年に天台別院となった伊予定額寺も同寺と言われる。
5浄水寺浄水寺828年『類聚国史』廃絶熊本県宇城市豊野町石碑あり。
6菩提寺信夫・菩提寺830年『類聚国史』廃絶福島県福島市飯坂町西原廃寺跡がその跡と言われる。
7金勝寺金勝寺833年『続日本後紀』現存滋賀県栗東市荒張金粛菩薩(良弁)の旧跡。
大菩提寺とも
8金剛峰寺金剛峰寺835年『類聚三代格』現存和歌山県伊都郡高野町高野山真言宗の聖地。
9不明伊豆・大興寺836年『日本三代実録』廃絶静岡県三島市大社町836年に焼失した伊豆国分尼寺に代わって、その代替を担った。836年の時点では名称は明らかではないが、855年「大興寺」と同一と推定されている。跡地は市ケ原廃寺跡とされ、現在、伊豆・法華寺と伊豆・祐泉寺に受け継がれているとされる。
10鹿島神宮寺鹿島神宮寺837年『類聚三代格』廃絶茨城県鹿嶋市鹿島神宮の神宮寺。
満願旧跡。
親鸞旧跡。
11不明伊予・弥勒寺840年『続日本後紀』廃絶不明上述の伊予・弥勒寺のことと推定されている。
12寿永寺但馬・寿永寺842年『続日本後紀』廃絶兵庫県跡地不明。
13大興寺能登国分寺843年『続日本後紀』廃絶石川県七尾市国分町能登氏の氏寺として飛鳥時代に創建。
843年、国分寺になる。
14長谷寺長谷寺847年『続日本後紀』現存奈良県桜井市初瀬観音信仰の寺院。
真言宗豊山派の総本山。
15壺阪寺壺阪寺847年『続日本後紀』現存奈良県高市郡高取町壺阪観音信仰の寺院。
真言宗子島流の拠点。
16海印寺山城・海印寺851年『類聚三代格』廃絶京都府長岡京市奥海印寺城真言宗寺院。
廃絶するが、子院寂照院が残る。
17安祥寺安祥寺855年『文徳天皇実録』現存京都市山科区御陵平林町22旧門跡寺院。
文徳天皇の母藤原順子の発願により創建。
かつては山上山下に渡る大規模寺院だったが、衰退して存続。
安祥寺流の拠点。
18大興寺伊豆・大興寺855年『文徳天皇実録』廃絶静岡県三島市大社町
19法隆寺出羽・法隆寺856年『文徳天皇実録』廃絶不明
20極楽寺陸奥・極楽寺857年『文徳天皇実録』現存岩手県北上市稲瀬町内門岡東北支配の先鋒を担った古代最北の官寺。
平安時代の東北仏教の中心。
国見山廃寺跡が極楽寺跡とされる。
700を超える堂塔があったという。
21気比神宮寺気比神宮寺860年『日本三代実録』廃絶福井県敦賀市曙町気比神宮の神宮寺。
神宮寺として初期のもの。
22法照寺富士・法照寺863年『日本三代実録』廃絶静岡県富士市浅間上町三日市廃寺跡が法照寺跡と言われる。
23頭陀寺遠江・頭陀寺863年『日本三代実録』現存静岡県浜松市南区頭陀寺町真言宗寺院。
24禅林寺禅林寺863年『日本三代実録』現存京都府京都市左京区永観堂町浄土宗西山禅林寺派の総本山。
もとは真言宗寺院。
25延算寺延算寺864年『日本三代実録』現存岐阜県岐阜市岩井真言宗寺院。
26観音寺出羽・観音寺865年『日本三代実録』不明山形県円通寺(酒田市観音寺)、東根市観音寺間木野、山形市長谷堂などの候補地がある。
飽海郡にあったとも言われる。
秋田県横手市の観音寺廃寺とも、山形県東根市観音寺とも言われる。
27寂光寺信濃・寂光寺865年『日本三代実録』不明長野県座光寺という説がある。
28錦織寺信濃・錦織寺865年『日本三代実録』廃絶長野県跡地不明。
29安養寺更級・安養寺865年『日本三代実録』現存長野県候補として長野・安養寺、坂井・安養寺の二つがある。
30屋代寺屋代寺865年『日本三代実録』廃絶長野県千曲市雨宮廃寺の説がある。
31妙楽寺信濃・妙楽寺865年『日本三代実録』現存長野県佐久市塚原
32延祥寺近江・延祥寺866年『日本三代実録』廃絶滋賀県大津市のち元慶6年12月10日、天台別院になる
33瑜伽寺出羽・瑜伽寺866年『日本三代実録』廃絶山形県山形市滝の平山形市滝の平が跡地と推定されている(山辺町埋蔵文化財調査報告書第1集)
34長安寺出羽・長安寺867年『日本三代実録』廃絶不明跡地不明。
35霊山寺出羽・霊山寺867年『日本三代実録』廃絶山形県山形市瀧山と天童市水晶山の候補地がある。
36妙法寺近江・妙法寺867年『日本三代実録』廃絶滋賀県東近江市妙法寺町比良山にあった。『日本三代実録』には「官寺」になったとあるが、宇佐美正利は定額寺とみなしている。太田亮『近江』では神崎郡妙法寺村(東近江市妙法寺町)に比定しているが比良山からは遠い。
37最勝寺近江・最勝寺867年『日本三代実録』廃絶滋賀県大津市和邇比良山にあった。『日本三代実録』には「官寺」になったとあるが、宇佐美正利は定額寺とみなしている。太田亮『近江』では滋賀郡最勝寺野(滋賀県大津市和邇)に比定している。
38観心寺観心寺869年『元亨釈書』現存大阪府河内長野市
39観空寺観空寺870年『日本三代実録』現存京都府京都市右京区嵯峨嵯峨天皇が創建。
40安隆寺出羽・安隆寺870年『日本三代実録』廃絶秋田県「仙北郡美郷町安城寺」の地名や大曲市の安養寺が候補に上がるが確証はない。
41清林寺尾張・清林寺872年『日本三代実録』廃絶愛知県あま市甚目寺
42広隆寺広隆寺873年『広隆寺資財帳』現存京都府京都市右京区太秦
43漢河寺漢河寺873年『日本三代実録』廃絶神奈川県一時期相模国分尼寺として利用されていた。
44貞観寺貞観寺874年『日本三代実録』廃絶京都府京都市伏見区深草
45悉檀寺悉檀寺874年『日本三代実録』廃絶大阪府高槻市
46元慶寺元慶寺877年『日本三代実録』現存京都府京都市山科区
47嘉祥寺深草・嘉祥寺878年『日本三代実録』現存京都府京都市伏見区深草
48護国寺近江・護国寺878年『日本三代実録』現存滋賀県米原市伊吹山にあった。
伊吹山寺と観音護国寺などに分かれている。
49円覚寺山城・円覚寺881年『日本三代実録』現存京都府京都市右京区
50願興寺願興寺884年『日本三代実録』廃絶愛知県名古屋市尾張国分寺となる。
51弥勒寺加賀・弥勒寺885年『日本三代実録』廃絶石川県金沢市観法寺町の観法寺谷推定地は『石川県埋蔵文化財情報』4号による。
52神応寺葛野・神応寺885年『日本三代実録』廃絶京都府京都市右京区紀内親王が創建。
53不明定額尼寺887年『日本三代実録』岐阜県美濃国分寺が一時あった
54円成寺東山・円成寺889年『類聚三代格』廃絶京都府京都市左京区鹿ケ谷
55仏隆寺仏隆寺890年『日本紀略』現存奈良県宇陀市
56南無寺南無寺890年『扶桑略記』廃絶滋賀県
57浄福寺浄福寺896年『類聚三代格』現存京都府京都市上京区
58極楽寺深草・極楽寺899年『菅家文草』現存京都府京都市伏見区深草宝塔寺として現存。
59東光寺京都・東光寺905年『類聚三代格』廃絶京都府京都市左京区岡崎東天王町岡崎神社にあった。
60勧修寺勧修寺905年『類聚三代格』現存京都府京都市山科区
61醍醐寺醍醐寺913年『醍醐寺要書』現存京都府京都市伏見区
62法性寺法性寺934年『日本紀略』現存京都府京都市東山区本町16藤原忠平が創建。
63観慶寺観慶寺935年『二十二社註式』廃絶京都府京都市東山区八坂神社の別当。
64不明不明940年『日本紀略』神奈川県不明
65施無畏寺京都・施無畏寺949年『本朝文粋』廃絶京都府京都市兼明親王が創建。
最初は観音寺。
平野神社神宮寺。
66醍醐寺東院醍醐寺東院969年『醍醐寺要書』京都府京都市伏見区不明
67延暦寺恵心院延暦寺恵心院986年『延暦寺護国縁起』滋賀県大津市不明
68延暦寺妙香院延暦寺妙香院990年『山門堂舎記』滋賀県大津市不明
69放光寺放光寺不明『上野国交替実録帳』群馬県前橋市総社町総社山王廃寺
70法林寺上野・法林寺不明『上野国交替実録帳』群馬県不明
71弘輪寺弘輪寺不明『上野国交替実録帳』群馬県不明
72慈広寺慈広寺不明『上野国交替実録帳』群馬県不明
73建長寺建長寺不明『円覚寺文書』神奈川県鎌倉市不明
74円覚寺円覚寺不明『円覚寺文書』神奈川県鎌倉市不明
75普光寺大和・普光寺不明『東大寺要録』奈良県聖武天皇の菩提寺
76神願寺神願寺不明『類聚三代格』合併大阪府和気氏の寺。現在の京都神護寺。
77般若寺大和・般若寺不明『上宮聖徳法王帝説 裏書』奈良県奈良市不明

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