安祥寺は、JR京都駅の隣のJR山科駅から徒歩9分の距離にある通常非公開のお寺です。
アクセスも程よく、寺と神社が同敷地内にあり、ゆっくりとした時間を過ごせる場所です。
2022年7月に完成した「青龍殿 蘚苔蟠竜」は、山の中に急に神聖な空間が現れます。
今回は、そんな安祥寺をご紹介します。
![](https://kitsune-hudou.com/wp-content/uploads/2022/10/4793f2d428d16e6f095b0082222596ab-1024x768.jpg)
基本情報
開 創: 平安時代 嘉祥(かしょう)元年(848年)
正式名称:吉祥山 宝塔院 安祥寺(きちじょうざん ほうとういん あんしょうじ)
京都市山科区にある高野山真言宗の寺院です。
文徳天皇の母(仁明天皇の皇后)・藤原順子の発願により創建されました。
弘法大師空海の孫弟子にあたる唐(中国)へ留学し戻って来た恵運僧都(えうんそうず)が、最初の住職です。
![たぬきくん](https://kitsune-hudou.com/wp-content/uploads/2021/10/fe16fdf3f2baf3fec10437dc74e20869.png)
弘法大師とも関係のあるお寺なんだね。
所要時間
目安:1時間
境内地図
![](https://kitsune-hudou.com/wp-content/uploads/2022/10/f1ac0e0e5b03c9073fdf47e01febd09f-1024x768.jpg)
![たぬきくん](https://kitsune-hudou.com/wp-content/uploads/2021/10/fe16fdf3f2baf3fec10437dc74e20869.png)
敷地は思ったより広いよね。
![きつねくん](https://kitsune-hudou.com/wp-content/uploads/2021/10/kitune.png)
琵琶湖疎水を超えた先に門があるよ。
見所
![きつねくん](https://kitsune-hudou.com/wp-content/uploads/2021/10/kitune.png)
本堂にいらっしゃる十一面観音菩薩様の優しい顔と、空間に癒されるね。
![たぬきくん](https://kitsune-hudou.com/wp-content/uploads/2021/10/fe16fdf3f2baf3fec10437dc74e20869.png)
観音菩薩様の脇にいらっしゃる四天王様も顔つきが、ほかの神社や仏閣とは、全然違うよ。
![きつねくん](https://kitsune-hudou.com/wp-content/uploads/2021/10/kitune.png)
そうだね。地蔵堂のお地蔵様も雰囲気が違うし。
![たぬきくん](https://kitsune-hudou.com/wp-content/uploads/2021/10/fe16fdf3f2baf3fec10437dc74e20869.png)
青龍殿もきれいだったね。
歴史
![](https://kitsune-hudou.com/wp-content/uploads/2022/10/549942f99ed2b5c617e0672ef635ebe2-1024x768.jpg)
繁栄
嘉祥(かしょう)元年(848年)文徳天皇の母(仁明天皇の皇后)・藤原順子の発願により創建されました。
弘法大師空海の孫弟子にあたる唐(中国)へ留学し戻って来た恵運僧都(えうんそうず)を迎え、繁栄していきました。
安祥寺が最も栄えた貞観末(西暦875年)頃は、山の上に「上寺」、山の麓に「下寺」両寺の大伽藍(だいがらん)をはじめ、塔頭(たっちゅう)の坊舎(ぼうしゃ)を含め700余りの建物があったというから驚きです。
![きつねくん](https://kitsune-hudou.com/wp-content/uploads/2021/10/kitune.png)
大伽藍(だいがらん)というのは、寺の建物のことだよ。
また、塔頭(たっちゅう)は、各寺の付属する小寺や建物。
坊舎(ぼうしゃ)はお坊さんが寝泊まりする場所のことだよ。
山科の山一帯が、安祥寺の敷地だったようです。
衰退
平安時代(794~1185)の末頃には、既に栄えたころの姿を失いだし、応仁・文明の乱(1467~1477)の中で、他の京都の寺と同様、寺の宝とともに建物も消えてしまいました。
復興
江戸時代になり、徳川家康の命令がでました。
慶長18年(1613)藤原順子皇太后が今の安祥寺がある周辺の土地を喜捨(きしゃ)し復旧が始まりました。
![きつねくん](https://kitsune-hudou.com/wp-content/uploads/2021/10/kitune.png)
喜捨(きしゃ)とは、寺社や貧乏な人に施し物を、喜んですることだよ。
藤原順子皇太后も、安寧を願っての喜捨だったのかな。
その後、観音堂、多宝塔、地蔵堂、大師堂、青龍殿などが再建され、上寺跡に残されていた仏像、寺宝も移され、現在の伽藍となっています。
恵運僧都(えうんそうず)
弘法大師空海の孫弟子にあたります。また唐(中国)へ留学し、仏教の勉強をしてきました。
![きつねくん](https://kitsune-hudou.com/wp-content/uploads/2021/10/kitune.png)
日本に仏教(密教)を伝え多大な貢献をした8人を
入唐八家(にゅうとうはっけ)、八家真言,真言八家祖師なんて言うんだ。
![たぬきくん](https://kitsune-hudou.com/wp-content/uploads/2021/10/fe16fdf3f2baf3fec10437dc74e20869.png)
唐に留学した人としては、最澄、空海が有名だよね。
当時屈指の高僧で、貞観3年(西暦861年)東大寺の大仏修理落慶供養では、大仏の開眼導師を勤めました。
![きつねくん](https://kitsune-hudou.com/wp-content/uploads/2021/10/kitune.png)
東大寺の大仏修理の完成式なんて、とても多くの住職がいる中で、大仏の目を入れる大役を務めるなんて、とても高い身分だったことがわかるね。
入唐八家(にゅうとうはっけ)
- 最澄
- 空海
- 常暁
- 円行
- 円仁
- 恵運
- 円珍
- 宗叡
境内
入口
![](https://kitsune-hudou.com/wp-content/uploads/2022/10/acf06ccfbd79e769ea85e8800835da5e-1024x768.jpg)
琵琶湖疎水に架かる安祥寺橋を渡ってすぐのところに、安祥寺はあります。
拝観券売り場
![](https://kitsune-hudou.com/wp-content/uploads/2022/10/ed732ac623808390996765d941241bff-1024x768.jpg)
![きつねくん](https://kitsune-hudou.com/wp-content/uploads/2021/10/kitune.png)
特別公開時のみ、公開されるため左側の白いテントにて拝観券を購入できるよ。
観音堂(本堂)
![](https://kitsune-hudou.com/wp-content/uploads/2022/10/e1be471d6d8647a9d5d863e720313163-1024x768.jpg)
江戸時代の文化14年(1817)に建立。
桁行三間、梁間三間の入母屋造。内部は一室の空間となっており、中央二本の柱で厨子が構成されています。
![](https://kitsune-hudou.com/wp-content/uploads/2022/10/e162c6b41daf5bcc16097f356a6c6691-1-1024x768.jpg)
![](https://kitsune-hudou.com/wp-content/uploads/2022/10/22ba36a270fa311ac7eef0043202a769-2-1024x768.jpg)
内部は、中央の厨子に本尊・十一面観音菩薩立像、左右には四天王立像が祀られています。
また、四天王 脇の扉 から観音堂本尊厨子の裏堂に行くことができ、そこに徳川家康像が厨子内に安置されています。
![たぬきくん](https://kitsune-hudou.com/wp-content/uploads/2021/10/fe16fdf3f2baf3fec10437dc74e20869.png)
徳川家康像については、
扉が半開きになっていて、入るのを迷っちゃいました。
木造十一面観音菩薩立像(重要文化財)
![](https://kitsune-hudou.com/wp-content/uploads/2022/10/255415b38aa4e1ae28fdb105e6427f4a-1024x512.jpg)
奈良時代(710~794年)に作られた半丈六(約2.4 m)の仏像。
榧木の一木造りで、漆箔仕上げ。像高は252.5cm、台座を含めた総高は311.5cm。
創建より本尊として祀られており、衰退や乱を免れ伝わっています。
お寺の創建は、848年のため、それより以前に作られております。
伝来については、不明です。
![きつねくん](https://kitsune-hudou.com/wp-content/uploads/2021/10/kitune.png)
厨子の目の前まで行けるので、細部まで確認することが出来ます。
![たぬきくん](https://kitsune-hudou.com/wp-content/uploads/2021/10/fe16fdf3f2baf3fec10437dc74e20869.png)
奈良時代からこの時代まで、輝きを失わずに時代を超えてこれたことがすごいね。
四天王立像
広目天、増長天、持国天、多聞天の4体です。
憤怒形で岩座の上に立つ姿で、観音堂須弥壇の左右に一列に祀られています。
像高は152.7cmから165.5cmで、増長天を除く三体は10世紀の作と考えられています。
寺伝では止利仏師(鞍造止利・日本最初の仏像製作者)の作と伝えています。
![きつねくん](https://kitsune-hudou.com/wp-content/uploads/2021/10/kitune.png)
眼が大きく見開かれていて、怒りの表情の中に、かわいさを感じたね。
![たぬきくん](https://kitsune-hudou.com/wp-content/uploads/2021/10/fe16fdf3f2baf3fec10437dc74e20869.png)
顔もどこか、異国の人の顔に似ている気がしたよ。
よく見る四天王様とは違った雰囲気だったな。
徳川家康像
![](https://kitsune-hudou.com/wp-content/uploads/2022/10/68b066b7929d86a73a907a2023e21f8d.jpg)
像高は約46cm。
厨子扉の内側には日光、月光菩薩が描かれています。
![きつねくん](https://kitsune-hudou.com/wp-content/uploads/2021/10/kitune.png)
年月がたってしまい、厨子の内部に描かれていることは分かったのですが、
それが日光、月光菩薩だとは気づけなかった。
枯山水(小)
![](https://kitsune-hudou.com/wp-content/uploads/2022/10/17ceeb391a8280d5de7c488071652ddb-1024x768.jpg)
![](https://kitsune-hudou.com/wp-content/uploads/2022/10/c1501b8b52b01274d0cd0bc3f1ea0ed9-1024x768.jpg)
井戸
![](https://kitsune-hudou.com/wp-content/uploads/2022/10/c09fc5fbf497ca4c3fb9dcc1a2b1217f-1024x768.jpg)
![たぬきくん](https://kitsune-hudou.com/wp-content/uploads/2021/10/fe16fdf3f2baf3fec10437dc74e20869.png)
観音堂の奥には、策に覆われた井戸があったよ。
地蔵堂
![](https://kitsune-hudou.com/wp-content/uploads/2022/10/ae6cb3ad670e2c9d3beb07b6d5da8834-1-1024x768.jpg)
江戸時代の明和9年(1772)建立。
間口三間、奥行三間の宝形造りで、内部の天井は格天井になっており、格間には極彩色の花卉の絵が描かれています。
![](https://kitsune-hudou.com/wp-content/uploads/2022/10/a62eaec3956bb242e34e53caac090702-1-768x1024.jpg)
地蔵菩薩像
![](https://kitsune-hudou.com/wp-content/uploads/2022/10/6d54b79318d0f6a7b19900c9d76363bb.jpg)
鎌倉時代後半の作。
像高134cmの座像で寄木造、蓮華の台座69.3cm。
![きつねくん](https://kitsune-hudou.com/wp-content/uploads/2021/10/kitune.png)
僕らのよく知る地蔵菩薩像は、立像で錫杖を持っているよね。
でも、このお地蔵様は、座像で印を結んでいるし、胸に装飾があるから全然雰囲気が違うよね。
大師堂
![](https://kitsune-hudou.com/wp-content/uploads/2022/10/853e5c6e4643ad7004daf19ebf76e1ed-1-1024x768.jpg)
江戸時代の安永2年(1773)建立。
桁行三間、梁間三間の寄棟造。本瓦葺。
僧侶像
![](https://kitsune-hudou.com/wp-content/uploads/2022/10/d3997223c079cd026e392495b73c1d7c.jpg)
中央に、厨子があり、高さ82cmの木造の弘法大師座像が安置されています。
江戸時代中期の仏師・清水隆慶作と伝えられています。
こちらから見て、弘法大師の左が恵運僧都(第一世)。
また、安祥寺流を広めた宗意律師(第十一世)、興雅僧正(第二十一世)、宥快法印(第二十二世)のご尊像が安置されています。
平安時代の作と推定されます。
青龍殿
![](https://kitsune-hudou.com/wp-content/uploads/2022/10/19e8c1348daadd15ff0c8eb7d8218e20-1024x768.jpg)
間口170cm余りの一間社流造、銅板葺きの建物。石垣を組んで堀をめぐらした方形の敷地の中にあります。
開基恵運僧都が中国長安青龍寺より鎮守の青龍権現をもらい受けて、上・下両所の伽藍を建立するにあたり、その青龍の御體を鎮守として祀ったことに始まります。
以来その変遷は定かでありませんが、豊臣秀吉の造立した方広寺大仏殿の再建を命じられた木食応其上人によって、再造営の大業成就を祈願して文禄3年(1594)に再建され、元和5年(1619)に現在地に移築、現社殿は嘉永6年(1853)に造り替えられたものです。
![](https://kitsune-hudou.com/wp-content/uploads/2022/10/b64a956f21c7e0356bbc4509ea4928a7-1024x768.jpg)
![](https://kitsune-hudou.com/wp-content/uploads/2022/10/8bd07b913c4bc464ce7af8efde44f27f-1024x768.jpg)
令和4年(2022年)に、修復されました。
埋まってしまっていた堀をもとにもどし、枯山水に苔にて二頭の龍が描かれています。
![](https://kitsune-hudou.com/wp-content/uploads/2022/10/2db10985980a3065a8f3ccbc87c83de9-1024x768.jpg)
![](https://kitsune-hudou.com/wp-content/uploads/2022/10/db6895bf5e5ad1d0889f777dd8b4ba43-1024x768.jpg)
![](https://kitsune-hudou.com/wp-content/uploads/2022/10/7369ad367f18ae4f106a56cbfba19249-2-1024x768.jpg)
蟠龍石柱 現在:京都国立博物館
![](https://kitsune-hudou.com/wp-content/uploads/2022/10/8de639183cc50f01aa90895ebeb1fea3.jpg)
昭和28年に青龍殿内から、中国唐時代の京幾様式石灯籠の竿部の石柱が発見され、「蟠龍石柱」と名づけられています。
高さ105cmの漢白玉製で、三匹の龍が彫刻されています。
平安時代前期の僧 恵萼(えがく)は、日本と唐の間を何度も往復したことで知られています。
その恵萼(えがく)が、唐(中国)より受けて安祥寺に持ち帰ったもので、「仏頂尊勝陀羅尼石童一基」が上寺に建てられていたことが「安祥寺資材帳」に書かれており、その一部ではないかと考えられています。
池
![](https://kitsune-hudou.com/wp-content/uploads/2022/10/5d0f1f1944104ad2a35d5afe1ec61989-1024x768.jpg)
御堀に水は、安祥寺裏の山から染み出しています。
その水は、山を下り敷地内の池へと豊富な水を湛えております。
弁天社
![](https://kitsune-hudou.com/wp-content/uploads/2022/10/2429a4e7b03efbb926938dbd48294296-1-1024x768.jpg)
梁桁2尺、一間社流造の小社。
大正14年に再建されたとの記録が残っています。
それ以前の事は定かではありません。
平成10年に解体修復が行われています。
![たぬきくん](https://kitsune-hudou.com/wp-content/uploads/2021/10/fe16fdf3f2baf3fec10437dc74e20869.png)
弁財天様と言えば、美や知識、芸能の神様として有名だよね。
弁財天様には、頭が上がらないよ。
![きつねくん](https://kitsune-hudou.com/wp-content/uploads/2021/10/kitune.png)
そうだね。
弁財天様は、水の神様でもあるから滝や池などの水場にお堂があることが多いね。
多宝塔跡
![](https://kitsune-hudou.com/wp-content/uploads/2022/10/d188cd7dcdb0fcb4ccd25ed04ebda2b0-1-1024x768.jpg)
![](https://kitsune-hudou.com/wp-content/uploads/2022/10/ea96638ce15fecb96773b39f9037fda7-2-1024x768.jpg)
江戸時代の宝暦9年(1759)に再建。
総高7丈5尺(約23m)、2丈4尺5寸(約8m)四面の二重宝塔だったと資料が残っています。
明治39年に焼失し、いまはその跡だけが残ります。
像高1丈6尺の多聞天像(伝弘法大師作、明治23年の全国宝物取調で「美術上要用なるものなり」との監査状あり)も同時に焼失してしまいました。
しかしながら木造五智如来坐像は、京都国立博物館に寄託されていたため難を逃れることができました。
![たぬきくん](https://kitsune-hudou.com/wp-content/uploads/2021/10/fe16fdf3f2baf3fec10437dc74e20869.png)
混同して覚えていた、五大虚空蔵菩薩像(重要文化財)現在:東寺観智院所蔵も説明するよ。
木造五智如来坐像(国宝)現在:京都国立博物館所蔵
![](https://kitsune-hudou.com/wp-content/uploads/2022/10/e0a7635c3b3fbf0dd07fc701d5fa95a3-1024x512.jpg)
中央・大日如来、向かって左より不空成就如来、阿弥陀如来、宝生如来、阿閦如来の五仏。
西暦851年から854年ごろの造像とされています。
現在地より北東約1.7kmにあった上寺(山上伽藍)礼仏堂の本尊で、江戸時代以降は現在焼失してしまった伽藍の多宝塔内に安置されていました
多宝塔焼失より前に、京都国立博物館に寄託されていたため、燃えることなく現在も京都国立博物館にて、その御姿を見ることができます。
五躰一具が揃って伝わる最古の五智如来像で、初期密教彫刻の最重要作例の一つとして、令和元年(2019)国宝に指定されました。
現在は、京都国立博物館の平成知新館1階に展示されています。
五大虚空蔵菩薩像(重要文化財)現在:東寺観智院所蔵
![](https://kitsune-hudou.com/wp-content/uploads/2022/10/de4b95da3e19f67dbb9cf2ffc4e9bb3b.jpg)
五大虚空蔵菩薩像(重要文化財)は、恵運僧都が唐から受けて持ち帰ったものです。
五尊はいずれも蓮の花弁で象かたどられた蓮台に結跏趺坐けっかふざし、獅子、象、馬、孔雀、迦楼羅かるらという鳥獣の上に鎮座しています。
この五尊ですが、創建時には安祥寺の上寺の五大堂に安置されていました。
創建から時は流れ、南北朝時代の永和2年(1378)に東寺の僧(腎宝)が安祥寺の上寺にお参りに来ました。
その時には、台風でお堂が倒壊しており、安置されていた五大虚空蔵菩薩も見るも無残な姿になってしまっていたと伝わっています。
これを、僧(腎宝)は東寺に引き取り修理を加えて、観智院に安置しました。
そのため、安祥寺の 五大虚空蔵菩薩像 が、東寺観智院にあるのです。
![きつねくん](https://kitsune-hudou.com/wp-content/uploads/2021/10/kitune.png)
14世紀中頃には、管理する人もおらず、上寺でさえも常住する僧もなく、主要な建物等は殆ど廃絶してしまったことが想像できるね。
![たぬきくん](https://kitsune-hudou.com/wp-content/uploads/2021/10/fe16fdf3f2baf3fec10437dc74e20869.png)
京都国立博物館にある国宝 五智如来坐像と 混同しちゃった。
どちらも、安祥寺と関係のある仏像様なんだね。
薬医門
![](https://kitsune-hudou.com/wp-content/uploads/2022/10/f168d52a7416fa38ded7c7e308cf3b73-1024x768.jpg)
切妻造、本瓦葺きの一間薬井門。
本坊の表門として元禄年間に建立。
もともと、本坊は、琵琶湖疎水の南側にあったのだが、本坊、鐘楼と共に昭和37年に現在地に移築されました。
山科琵琶湖疎水
![](https://kitsune-hudou.com/wp-content/uploads/2022/10/dabdf7de7ae0bb064a52ae6fb7ff15ca-1024x768.jpg)
![きつねくん](https://kitsune-hudou.com/wp-content/uploads/2021/10/kitune.png)
琵琶湖疎水を船が通りすぎていきました。
![たぬきくん](https://kitsune-hudou.com/wp-content/uploads/2021/10/fe16fdf3f2baf3fec10437dc74e20869.png)
近くに、琵琶湖疎水の下を安祥寺川が流れるポイントがあったよ。
![きつねくん](https://kitsune-hudou.com/wp-content/uploads/2021/10/kitune.png)
疎水の横をずっと歩いていくと、気持ち良いね。
こうやくん
![](https://kitsune-hudou.com/wp-content/uploads/2022/10/45cb79d5e861345325df98cb1fcd4ea5-1024x768.jpg)
![きつねくん](https://kitsune-hudou.com/wp-content/uploads/2021/10/kitune.png)
こうやくんは、平成27年の高野山開創1200年に向けて、生まれました。
高野山(こうやさん)と真言宗の魅力を全国の人々に伝えているんだよ。
![たぬきくん](https://kitsune-hudou.com/wp-content/uploads/2021/10/fe16fdf3f2baf3fec10437dc74e20869.png)
高野山といえば、弘仁7年(816)に、弘法大師によって開かれた真言密教の聖地 金剛峰寺があるんだよね。
本坊・寺務所
![](https://kitsune-hudou.com/wp-content/uploads/2022/10/0a1a7c1e2b9c166a9aa953bc2517f729-1024x768.jpg)
薬医門の先に、本坊はあります。
御守や、御朱印などはここで受け付けてます。
鐘楼(京都府指定文化財)
![](https://kitsune-hudou.com/wp-content/uploads/2022/10/6721207244b6887cf2b06fe034e8cb55-1024x768.jpg)
江戸時代の宝暦年間の建立。
梵鐘は摂州渡邊安曇寺の鐘で、嘉元4年(1306)に鋳造されたことが刻まれています。
伝来した理由は明らかではありませんが、一説には、豊臣秀吉朝鮮出兵の際、五畿内寺院より陣鐘として差し出された鐘の一つで、事終って返納の時誤って安曇寺の鐘が返送されたと伝えられています。
十二所神社
![](https://kitsune-hudou.com/wp-content/uploads/2022/10/e65864fe9b6139511df85a6cc741d566-1024x768.jpg)
1390年から1393年頃に創建されたと伝えられています。
また、神様は熊野十二所権現が祀られています。
安祥寺の1つの社というよりは、地元の神社という側面の方が強いようです。
![](https://kitsune-hudou.com/wp-content/uploads/2022/10/978ef696a2401aa4b486dadedccd5d57-1024x768.jpg)
![](https://kitsune-hudou.com/wp-content/uploads/2022/10/b0979e3e5d572d5089771bcde8975753-1024x768.jpg)
![たぬきくん](https://kitsune-hudou.com/wp-content/uploads/2021/10/fe16fdf3f2baf3fec10437dc74e20869.png)
地元から寄進された石鳥居も、今は朽ちてしまっているね。
熊野十二所権現
和歌山県熊野地方の熊野三社に、それぞれ祀られている12の神様のことです。
熊野三社とは、熊野本宮大社・熊野速玉大社・熊野那智大社のことです。
この12の神様は、三所権現、五所王子、四所明神(3+5+4=12)となっております。
それぞれ
〇三所権現
- 証誠殿(本地阿彌陀)
- 新宮(本地薬師)
- 那智(本地千手観音)
〇五所王子
- 小守の宮(本地聖観音)
- 児の宮(本地如意輪観音)
- 聖の宮(本地龍樹)
- 禅師の宮(本地地蔵)
- 若王子(本地十一面観音)
〇四所明神
- 一万の宮(本地普賢)または十万の宮(本地文殊)
- 勧請十五所(本地釈迦牟尼)
- 飛行夜叉(本地不動)
- 米持金剛童子(毘沙門天)
拝観案内
特別拝観のみ
特別拝観時のみ拝観が可能。
通常閉門しているため、注意。
特別拝観については、安祥寺の公式HPお知らせから。
![](https://kitsune-hudou.com/wp-content/uploads/2022/10/26f6fb7ff301d625944bf3a0e6e91a9a-1024x768.jpg)
![きつねくん](https://kitsune-hudou.com/wp-content/uploads/2021/10/kitune.png)
日にちを間違えて門前払いになってしまいました。
よく、確認しよう。
拝観期間(令和4年度参考)
〇令和4年9月17日(土)~9月19日(月・祝)
〇令和4年10月9日(日)、10月10日(月・祝)
〇令和4年11月19日(土)~11月27日(日)
拝観時間(令和4年度参考)
〇9:00~17:00(最終受付16:00)
拝観料(令和4年度参考)
〇500円(大人・小人共通 *小人未満 無料)
駐車場
境内に駐車場は、ありません。
また、近くにもコインパーキングはありません。
JR山科駅から、徒歩9分ですので、駅から徒歩をお勧めします。
![きつねくん](https://kitsune-hudou.com/wp-content/uploads/2021/10/kitune.png)
住宅街なのもあって、車で来てしまうと、山科駅まで戻ることになるから注意してね。
公式HP
地図
まとめ
- 特別拝観だけなので、必ず事前に公開日を確認しよう。
- 奈良時代作の観音菩薩様の目の前まで行くことが出来、細部まで確認できます。
- 四天王様の顔立ち、地蔵菩薩様の雰囲気がほかの寺院と違います。
- 琵琶湖疎水をお散歩しながら寄れます。
- 駐車場がないから、車以外でくるようにしてください。
![](https://www17.a8.net/0.gif?a8mat=3HOQGQ+EYTB8Y+2HOM+BS629)
コメント